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2025年05月18日
19〜21番の歌
19〜21番の歌にコメントお願いします。
19 目の前のお茶をすいすい飲み干せり発言少なき今日の会議に
20 家中の湯呑みの茶渋こすりだす師の肺癌を知りし真夜中
21 曾祖父母の頃は茶色でありし戦 画面の向かうの臭はぬ空爆
posted by かりんネット歌会 at 00:00|
Comment(13)
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詠草
この記事へのコメント
20番
茶渋が悪性の腫瘍の比喩に、
こすりだすに、削除したい気持ち。
眠れない夜を過ごす。
Posted by 阿部の天気 at 2025年05月19日 05:01
20 家中の湯呑みの茶渋こすりだす師の肺癌を知りし真夜中
作者の恩師はヘビースモーカーであったのでしょうか?
茶渋は肺胞に沈着したニコチンを想像させ、突然の発病の知らせを打ち消したいと、作者は湯呑みの内側を真っ白にしたい衝動に駆られたのでしょう。
それが“真夜中“であることに、さらなる切迫感が滲みます。
Posted by 槙 奈々帆 at 2025年05月19日 14:17
21 曾祖父母の頃は茶色でありし戦 画面の向かうの臭はぬ空爆
上句は中原中也の詩サーカスであろう。この詩のことを少し調べると、茶色い=古いという解釈もあるそうです。そう考えるとこの歌は、そう祖父母の頃には、色や匂いがあった古い戦争とテレビなど画面の中だけで見る匂いもない現代の戦争を対比しているのだろうか。
Posted by コ力聖也 at 2025年05月19日 14:52
19番歌 目の前のお茶をすいすい飲み干せリ発言少なき今日の会議に
コロナ禍もすこし落ち着き、リアル会議を
詠んだ歌なのかなと思いました。
たしかに発言が少ない会議で、自分自身も手持ち無沙汰で、目の前のお茶を飲み干してしまう。そんな場面でしょうか。私も以前、似たような場面の経験がありますが、会議あるあるなのかもしれませんね。
結句の「会議に」を「会議は」にしたほうが、より歌の意味合いが通りやすい印象にかわるのかもと思いました。
Posted by 橘 まゆ at 2025年05月20日 22:33
19番 会議でもランチでも日常生活でありえる風景ですね。すいすい飲み干せり、でもうずっと手持ち無沙汰で飲み続けてるのがわかります。水かお茶か。珈琲とかではないでしょう。すいすいという表現がとてもよく効いていると思います。
Posted by 服部明日檜 at 2025年05月22日 08:34
20番 やるせない気持ちの時、無心になれることをする。それが作者には茶渋とりなのでしょう。いくつもいくつも。それが家中の湯呑みでわかります。誰にも言えないこの気持ちを朝までには平常にしないといけない緊張がみえます。たぶん私も同じことをするでしょう。そんな共感を呼びます。辛いですね。
Posted by 服部明日檜 at 2025年05月22日 08:39
20 家中の湯呑みの茶渋こすりだす師の肺癌を知りし真夜中
師匠の肺癌の報せがショックで眠れなかったのかもしれませんね。なぜあの師匠がという憤りややるせなさ、何も出来ない自分への不甲斐なさがひしひしと伝わってきます。
Posted by 吉村享子 at 2025年05月24日 13:19
20 家中の湯呑みの茶渋こすりだす師の肺癌を知りし真夜中
茶渋をとる行為が、まず今できることとして身を正す=^動揺を押さえる/全てを無かったことにする/・・・ことであるように、ショックと祈りとを十分に代弁していると思います。
Posted by 若槻真美子 at 2025年05月26日 23:22
20番:気持ちを静めるために、無意味なことでも何かをせずには居られない心境が伝わりました。だんだん茶渋が癌細胞に見えてくるような気持ちも。
Posted by あづま洋子 at 2025年05月30日 18:23
19番:「発言少なき」は出席者全体なのか、自分自身なのか、どちらにしても、早く終わってくれないかな…という雰囲気でしょうか。お茶も飲み終わってしまいそうです。
Posted by あづま洋子 at 2025年05月30日 18:34
20.湯呑みという大体台所にかたまって置いてあるであろう物に対して、「家中の」という大きな言い方が、動揺の大きさを表していて面白いと思いました。
Posted by 市川多紀 at 2025年05月30日 20:44
19 目の前のお茶をすいすい飲み干せり発言少なき今日の会議に
上の句の「すいすい」に闊達な様子が浮かんだのですが、下の句で一転していて「すいすい」飲み干した状況が違う意味合いになっているのが面白いと思いました。
さらりとした詠みぶりもよいです。
20 家中の湯呑みの茶渋こすりだす師の肺癌を知りし真夜中
いても立ってもいられない気持ちが伝わってきます。お百度参りのような、一種の祈りの行為なのでしょうね。
感情を言わずに読者に託している点もよいです。
Posted by 遠音 at 2025年05月31日 02:41
目の前のお茶をすいすい飲み干せり発言少なき今日の会議に
会議を振り返る夜のひと時のようで実際は会議の場の心境なのでしょうか。発言の少なさが示す場の心模様を受け流すようにお茶を飲む。重い議題の場であればお茶は少しずつ飲む気がしますが、作者の心はすでに定まっているようです。作者の心は周囲とは別にすでに定まっている様子が描写から感じられます。
Posted by 中山洋祐 at 2025年06月01日 10:12
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茶渋が悪性の腫瘍の比喩に、
こすりだすに、削除したい気持ち。
眠れない夜を過ごす。
作者の恩師はヘビースモーカーであったのでしょうか?
茶渋は肺胞に沈着したニコチンを想像させ、突然の発病の知らせを打ち消したいと、作者は湯呑みの内側を真っ白にしたい衝動に駆られたのでしょう。
それが“真夜中“であることに、さらなる切迫感が滲みます。
上句は中原中也の詩サーカスであろう。この詩のことを少し調べると、茶色い=古いという解釈もあるそうです。そう考えるとこの歌は、そう祖父母の頃には、色や匂いがあった古い戦争とテレビなど画面の中だけで見る匂いもない現代の戦争を対比しているのだろうか。
コロナ禍もすこし落ち着き、リアル会議を
詠んだ歌なのかなと思いました。
たしかに発言が少ない会議で、自分自身も手持ち無沙汰で、目の前のお茶を飲み干してしまう。そんな場面でしょうか。私も以前、似たような場面の経験がありますが、会議あるあるなのかもしれませんね。
結句の「会議に」を「会議は」にしたほうが、より歌の意味合いが通りやすい印象にかわるのかもと思いました。
師匠の肺癌の報せがショックで眠れなかったのかもしれませんね。なぜあの師匠がという憤りややるせなさ、何も出来ない自分への不甲斐なさがひしひしと伝わってきます。
茶渋をとる行為が、まず今できることとして身を正す=^動揺を押さえる/全てを無かったことにする/・・・ことであるように、ショックと祈りとを十分に代弁していると思います。
上の句の「すいすい」に闊達な様子が浮かんだのですが、下の句で一転していて「すいすい」飲み干した状況が違う意味合いになっているのが面白いと思いました。
さらりとした詠みぶりもよいです。
20 家中の湯呑みの茶渋こすりだす師の肺癌を知りし真夜中
いても立ってもいられない気持ちが伝わってきます。お百度参りのような、一種の祈りの行為なのでしょうね。
感情を言わずに読者に託している点もよいです。
会議を振り返る夜のひと時のようで実際は会議の場の心境なのでしょうか。発言の少なさが示す場の心模様を受け流すようにお茶を飲む。重い議題の場であればお茶は少しずつ飲む気がしますが、作者の心はすでに定まっているようです。作者の心は周囲とは別にすでに定まっている様子が描写から感じられます。