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2025年05月18日
7〜9番の歌
7〜9番の歌にコメントお願いします。
7 一匙の砂糖を足して溶かす朝甘い紅茶は受験子のために
8 お揃ひの平たき茶碗に味ご飯山と盛らるるこども食堂
9 失敗も想定内さ珈琲を押したつもりもおーいお茶出て
posted by かりんネット歌会 at 00:00|
Comment(11)
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詠草
この記事へのコメント
コーヒーとお茶なら失敗しても楽しいが、天国地獄が隣り合っているボタンなら、指差確認をしなければならない。
Posted by 阿部の天気 at 2025年05月19日 04:44
9 失敗も想定内さ珈琲を押したつもりもおーいお茶出て
私も良くやる失敗である。自分の場合、押そうとした瞬間手がぶれて、隣の釦を押してしまったとか。
珈琲とおーいお茶の違いならそれほどの面白みがなく、前評者の言葉を借りるなら、天国と地獄くらいの方が落差があり面白かったのではと感じました。
Posted by コ力聖也 at 2025年05月19日 15:14
9番 前評者と同じで珈琲がお茶ならあまり面白くなく、ここはおでん缶とか出て欲しいのが惜しい。結句でただのお茶じゃなくて、おーいお茶にしたところが、おいおいお茶かよ、と聞こえてしまうようなところに味があります。
Posted by 服部明日檜 at 2025年05月22日 10:11
7. 寝る隙も無く受験勉強に疲れた心への少し甘い癒しの裏側に、子への深い愛情を感じました。
ただ、言葉の選択や斡旋、特に「一匙」や「溶かす朝」、下句の全体に緊張感が弱く、解し易くて一読終了のところが勿体ないやうな印象を覚えました。
「一匙」や「溶かす」、「甘い」や「ために」は、もつと深く重く変換・転回できるやうに思ひます。
Posted by 吉岡健児 at 2025年05月23日 00:44
8 お揃ひの平たき茶碗に味ご飯山と盛らるるこども食堂
普通の茶碗ではなく(お皿のような)平たい茶碗に山盛りの味ご飯、いいですね。味ご飯の様子をこのように丁寧に表現することで、それを頬張るこどもたちの笑顔、立ち込める味ご飯の香り、温かいこども食堂の雰囲気までもが瞬時に浮かぶ秀作になっていると思いました。
Posted by 吉村享子 at 2025年05月24日 11:09
7 一匙の砂糖を足して溶かす朝甘い紅茶は受験子のために
緊張で鋭くなっている心を和らげる愛情が丁寧に詠われています。
ただ、「受験子」の言い回しに(鍵っ子、一人っ子などとは異なり)、違和感が否めません。助詞は省かず「受験の子のため」ぐらいにしてはどうでしょうか。
Posted by 若槻真美子 at 2025年05月26日 23:24
8.「お揃ひ」なのが、みんなと一緒で楽しい感があると共に、各々の茶碗がある家庭のご飯との違いを感じて少しだけさびしさもあり(最近は各々のお茶碗を決めていない家庭も多くなっているかもですが)。
「味ご飯」は東海地方では炊き込みご飯や五目などの混ぜご飯の事のようですが(それだとちょっとご馳走なイメージですが)、私はもっと簡単なものを想像したので、たくさんのおかずはなくても、とにかくご飯をおなかいっぱい食べてほしいという子ども食堂さんの心意気を感じました。
映像が浮かびやすく、かつ色々感じさせ、考えさせられる歌だと思いました。
Posted by 市川多紀 at 2025年05月30日 20:27
7 一匙の砂糖を足して溶かす朝甘い紅茶は受験子のために
砂糖は、いつもより余計に多く入れたということなのか、いつもは入れないけれど今朝は入れたということなのか? 些末なことですが、ちょっと立ち止まってしまいました。
若槻さんのコメントで気づいたのですが、作者は俳句をたしなまれているのかも、と思いました。
「受験子(じゅけんし)」という春の季語がありますが、手元の電子辞書の歳時記4種では「角川俳句大歳時記」にしか載っておらず、少々マイナーな季語かと思います。
たまたま知っていたので違和感なく読み進めてしまいましたが、よい勉強になりました。
8 お揃ひの平たき茶碗に味ご飯山と盛らるるこども食堂
「味ご飯」という言い回しを知らなかったのですが、なんとなく想像はできました。
平たい茶碗に山盛り、という描写で、チャーハンのような料理が浮かびました。手間はそれほどかけていない代わりに早くてあたたかなごはん。
主観や感情を入れずに描写しているのがとてもよいと思いました。読者は自分の心の中で存分に想像をふくらませられます。
9 失敗も想定内さ珈琲を押したつもりもおーいお茶出て
想定内さ、という強がりがユーモラスでいいですね。服部さんのコメントに、「おーい」が内なる声と掛かっているのだとも気づかされました。
Posted by 遠音 at 2025年05月31日 00:33
言葉の勉強にと見ていた俳句のTV番組で「受験子」と言う春の季語を知りました。
短歌よりさらに文字数が少ない俳句では読み方を短縮したり、今回の「受験子」のように季語以外では見かけない言葉があるようですが、浅い知識で短歌に用いた事で違和感が出たことを反省しました。
歌自体は、受験当日の弁当作りの場面です。普段は甘くないお茶ですが、昼食で糖分補給して午後の科目も脳細胞をフル回転させて頑張れ!と、その日は甘い紅茶を持たせました。
エールの砂糖入りの熱い紅茶の水筒をランチバッグに詰めて、口には出さずに子供に手渡した朝を思い出しました。皆様の指摘を踏まえて詠み直してみようと思います。
Posted by 槙 奈々帆 at 2025年05月31日 15:52
槙さんへ
短歌と俳句の両方を作っている一個人としては、季語を短歌に使うこと自体は問題ないと思います。
現在流通している歳時記は例句として俳句が載っているし、俳句専用に思われがちですが、本来は日本の季節の言葉を集めたものとして幅広く親しまれてよい書物だと思っております。
ただ、ご指摘のように俳句の中でしか見かけない季語もありますし、使った結果、今回のように首を傾げられてしまうリスクもありますが、そのリスクを覚悟の上で使いたいのならそれは構わないのでは、というのが私の意見です。
独特なものとしては他に、牡丹を「ぼうたん」と読ませるなど、音数を整えやすくするためのものもありますし、一種のガラパゴス進化的な世界だなあ、と思うことも。
Posted by 遠音 at 2025年05月31日 23:54
遠音さん
御丁寧なアドバイスをありがとうございました。
Posted by 槙 奈々帆 at 2025年06月02日 12:29
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珈琲とおーいお茶の違いならそれほどの面白みがなく、前評者の言葉を借りるなら、天国と地獄くらいの方が落差があり面白かったのではと感じました。
ただ、言葉の選択や斡旋、特に「一匙」や「溶かす朝」、下句の全体に緊張感が弱く、解し易くて一読終了のところが勿体ないやうな印象を覚えました。
「一匙」や「溶かす」、「甘い」や「ために」は、もつと深く重く変換・転回できるやうに思ひます。
普通の茶碗ではなく(お皿のような)平たい茶碗に山盛りの味ご飯、いいですね。味ご飯の様子をこのように丁寧に表現することで、それを頬張るこどもたちの笑顔、立ち込める味ご飯の香り、温かいこども食堂の雰囲気までもが瞬時に浮かぶ秀作になっていると思いました。
緊張で鋭くなっている心を和らげる愛情が丁寧に詠われています。
ただ、「受験子」の言い回しに(鍵っ子、一人っ子などとは異なり)、違和感が否めません。助詞は省かず「受験の子のため」ぐらいにしてはどうでしょうか。
「味ご飯」は東海地方では炊き込みご飯や五目などの混ぜご飯の事のようですが(それだとちょっとご馳走なイメージですが)、私はもっと簡単なものを想像したので、たくさんのおかずはなくても、とにかくご飯をおなかいっぱい食べてほしいという子ども食堂さんの心意気を感じました。
映像が浮かびやすく、かつ色々感じさせ、考えさせられる歌だと思いました。
砂糖は、いつもより余計に多く入れたということなのか、いつもは入れないけれど今朝は入れたということなのか? 些末なことですが、ちょっと立ち止まってしまいました。
若槻さんのコメントで気づいたのですが、作者は俳句をたしなまれているのかも、と思いました。
「受験子(じゅけんし)」という春の季語がありますが、手元の電子辞書の歳時記4種では「角川俳句大歳時記」にしか載っておらず、少々マイナーな季語かと思います。
たまたま知っていたので違和感なく読み進めてしまいましたが、よい勉強になりました。
8 お揃ひの平たき茶碗に味ご飯山と盛らるるこども食堂
「味ご飯」という言い回しを知らなかったのですが、なんとなく想像はできました。
平たい茶碗に山盛り、という描写で、チャーハンのような料理が浮かびました。手間はそれほどかけていない代わりに早くてあたたかなごはん。
主観や感情を入れずに描写しているのがとてもよいと思いました。読者は自分の心の中で存分に想像をふくらませられます。
9 失敗も想定内さ珈琲を押したつもりもおーいお茶出て
想定内さ、という強がりがユーモラスでいいですね。服部さんのコメントに、「おーい」が内なる声と掛かっているのだとも気づかされました。
短歌よりさらに文字数が少ない俳句では読み方を短縮したり、今回の「受験子」のように季語以外では見かけない言葉があるようですが、浅い知識で短歌に用いた事で違和感が出たことを反省しました。
歌自体は、受験当日の弁当作りの場面です。普段は甘くないお茶ですが、昼食で糖分補給して午後の科目も脳細胞をフル回転させて頑張れ!と、その日は甘い紅茶を持たせました。
エールの砂糖入りの熱い紅茶の水筒をランチバッグに詰めて、口には出さずに子供に手渡した朝を思い出しました。皆様の指摘を踏まえて詠み直してみようと思います。
短歌と俳句の両方を作っている一個人としては、季語を短歌に使うこと自体は問題ないと思います。
現在流通している歳時記は例句として俳句が載っているし、俳句専用に思われがちですが、本来は日本の季節の言葉を集めたものとして幅広く親しまれてよい書物だと思っております。
ただ、ご指摘のように俳句の中でしか見かけない季語もありますし、使った結果、今回のように首を傾げられてしまうリスクもありますが、そのリスクを覚悟の上で使いたいのならそれは構わないのでは、というのが私の意見です。
独特なものとしては他に、牡丹を「ぼうたん」と読ませるなど、音数を整えやすくするためのものもありますし、一種のガラパゴス進化的な世界だなあ、と思うことも。
御丁寧なアドバイスをありがとうございました。