2024年01月18日

16〜18番の歌

16〜18番の歌にコメントお願いします。

16 混ぜそばをぐるぐる混ぜる 哀しみは時間を経ても癒ゆることなく 
17 ガス代と時間をかけた少し濃い自炊のカレーが今のうちの味 
18 ソーキそば三枚肉に中身汁生命(いのち)を愛でて食ぶる正月 
posted by かりんネット歌会 at 00:00| Comment(9) | 詠草
この記事へのコメント
16 混ぜそばをぐるぐる混ぜる 哀しみは時間を経ても癒ゆることなく

様々な味が混ざり合う美味しい混ぜそばですが、箸で混ぜて一緒くたにするという行為は、整然とした秩序を一瞬のうちにグチャグチャにしてしまいたい衝動にも似ています。
思考が堂々巡りをする「ぐるぐる」にも思えます。
それが「哀しみ」であればなおのこと・・・
時にはひとつひとつ箸で確かめて、ゆっくり租借するする時間が必要なのかもしれません。
Posted by 槙 奈々帆 at 2024年01月20日 12:16
16 混ぜそばをぐるぐる混ぜる 哀しみは時間を経ても癒ゆることなく 

「ぐるぐる混ぜる」という行為に屈託が滲みます。「混ぜる」が時間の経過を表しているところも成功しているでしょう。
結句はやや言い過ぎかな、と思いました。それほど深い「哀しみ」を混ぜそばが支え切れるかどうか…


17 ガス代と時間をかけた少し濃い自炊のカレーが今のうちの味 

一首全体から、かすかな寂しさ、悲しさが伝わってくるように感じました。
「ガス代と時間」に何か切実な感じがあります。そこから「自炊」であることはわかるので、もう少し言葉を使って作者の状況がわかればもっと共感できる歌になりそうです。

18 ソーキそば三枚肉に中身汁生命(いのち)を愛でて食ぶる正月 

沖縄では年末に豚をつぶし、いろいろな正月料理を作るのが伝統とのこと。料理名の列挙がリズミカルな一首です。
Posted by 松村由利子 at 2024年01月20日 13:32
16 混ぜそばをぐるぐる混ぜる 哀しみは時間を経ても癒ゆることなく

「ぐるぐる」のめぐる感じが下の句の「時間」にも、かかっているような気がして、ちょっと悲しい気持ちを持て余し、不貞腐れたように、混ぜそばをかき混ぜる様子が思い浮かびました。
Posted by 広里ふかさ at 2024年01月22日 20:14
18番歌。豚の肉はもちろん、モツや骨も余すところなく使い切る。そのありようを「愛でる」と表現したのだと解しました。豪快でありながら、生ある者同士の真摯な交感が感じられました。正月は生命を考えてしまう時期でもありますね。
Posted by 田浦将 at 2024年01月24日 17:07
16 混ぜそばをぐるぐる混ぜる 哀しみは時間を経ても癒ゆることなく

この歌の作者はどこで混ぜそばを食べているのでしょう。昔海外の中華料理屋で混ぜそば(汁のないうどんのようなもの)をよく食べたことをなつかしく思い出しました。その店はきたない、狭い、安い、うまい、の典型のような店でしたので、それと哀しみがどうも結びつきません。きっともっと上等な店か、あるいは自宅の食卓でしょうか、作者が哀しみをぐるぐる混ぜているのは。勝手な想像ですみません。
Posted by 福島隆史 at 2024年01月25日 18:34
18 ソーキそば三枚肉に中身汁生命(いのち)を愛でて食ぶる正月

風土により晴れの料理は異なるのでしょう。沖縄といえど1月の寒さを感じつつ飲む汁は身も心も温めてくれると思います。余すことろなく命を頂く飲食の残酷さと有難みを深く感じる作者の心が伝わります。「愛でる」とは単に旨さを味わうばかりでなく、自他の命を愛する心に思いました。
Posted by 中山洋祐 at 2024年01月26日 08:13
18番:全部、豚肉料理の列記というのがいいですね。
おいしそうな沖縄料理というだけでなく、豚の生命をいただくありがたさを感じました。
Posted by 東 洋子  at 2024年01月29日 08:25
16番:哀しみの中でも食事をしなければならない場面があります。また、食事をしている最中に哀しみを思い出してしまうことも。
混ぜそばなら「混ぜる」という動作を食べる前にしますが、それが考え事をしているうちに、だんだん止まらなくなってしまったのでしょうか。
最近読んだスティーヴン・キングの小説の中で、とてつもない不安を抱えた少年が、皿の中のソーセージと豆をひたすら混ぜ続けるシーンあったのですが、古今東西老若男女、みんな同じことしてる…そしてそれを冷静に観察している人も…と、しみじみ思いました。
Posted by 東 洋子  at 2024年01月29日 08:40
16 混ぜそばをぐるぐる混ぜる 哀しみは時間を経ても癒ゆることなく 

一読して、上の句と下の句の繋がりはわからないままに惹かれた歌でした。
日常の食事の光景に過ぎないのになぜ惹かれたのだろうとふり返ると、ぐるぐる混ぜることで具や味が溶け合い、均されていくのに、この哀しみは時間経過や日々の生活を以てしても薄れることがない…という嘆息だと感じたからだと気づきました。
「悲しみ」ではなく「哀しみ」なので、具体的で強烈な感情ではなく、由来を説明しがたい、漂い続ける感情でしょうか。
Posted by 遠音 at 2024年01月30日 03:04
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