2022年11月18日

22〜24番の歌

22〜24番の歌にコメントお願いします。

22坂果つる先は空のみ広がりて上り切らずに生きたしと思(も)ふ 
23今登るこの坂はやがて下る坂 また晴れがましき列とすれ違う 
24なだらかな登りの坂をささやかな向かい風うけ職場へ急ぐ
posted by かりんネット歌会 at 00:00| Comment(5) | 詠草
この記事へのコメント
22坂果つる先は空のみ広がりて上り切らずに生きたしと思(も)ふ 

何故だか、一休禅師の「正月は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」のお歌を思い出してしまいました。
人生を坂に喩えると、さて、坂を登り切った先には何があるのか、実際に見た人は、残念ながら戻ってはきません。
絵的にこの掲歌から風景が浮かんできまして、絵にすると面白いと自分ながら思ってしまいました。解釈はあくまで個人的なものです、間違えていたらすみません。
Posted by 蚫谷定幸 at 2022年11月18日 13:17
22 坂果つる先は空のみ広がりて上り切らずに生きたしと思(も)ふ

坂を上るとしだいに空が広がる。空には、帰天という死のイメージがある。一種の幻想にとらわれ、上り切らない=まだ生きられる、という思いにかられたのか。あるいは、空は、周りに誰もいない、いなくなった景である。上り切らぬうちはまだ「他の人」がいる。知人や友人との交友のなかで生きたいという意向の表明ともとれる。


24 なだらかな登りの坂をささやかな向かい風うけ職場へ急ぐ

一見、比較的平穏な景である。ただ「職場」の斡旋には正負の両面があり得るだろう。働ける職場がある幸せ、という一方、職場でのさまざまな辛い境遇にも想像が及ぶ。
Posted by 中村暢夫 at 2022年11月19日 22:53
22番: 蚫谷さん、中村さんのコメントを興味深く読ませていただきました。そこにあるのは爽やかな青空か、孤独な無の世界か。いずれにせよ、心がその空にとらわれないように生きていこう、今の現実を一歩一歩踏みしめて生きていこう、という心意気が感じられました。
上記のように、個人の人生観の歌として鑑賞しても素晴らしい歌なのですが、私はこの光景から司馬遼太郎の『坂の上の雲』を思い出してしまい、社会詠としても読めるなあ、と。
明治維新から、ひたすら坂道を上り続けた日本人を待ち受けていた運命は… まさに「上り切らずに生きたしと思ふ」
Posted by 東 洋子 at 2022年11月20日 19:58
23 今登るこの坂はやがて下る坂 また晴れがましき列とすれ違う

解釈に迷った部分はあるのですが、人生を山登りに例えたお歌ととりました。「晴れがましき列」は入学式か卒業式、成人式あるいは結婚式でしょうか。上の句で坂を登っているのが「晴れがましき列」の人々、下りの途中(と思われている)作者が昔を懐かしむ様子がうかがえました。
 
Posted by 吉村享子 at 2022年11月23日 15:51
23今登るこの坂はやがて下る坂 また晴れがましき列とすれ違う

今回は人生を坂に例えた歌が多かったですね。はたして人生は最後まで上り坂なのか、途中から下りになるのか、考えさせられました。
吉村さんが解釈に迷われたように、一読、作者は坂を上っているのに、下ってくる人が晴れがましいと言われるのは何故なのかと思いました。確かに上り坂はしんどくて、下っている人は楽なのをうらやましいと感じる解釈も可能でしょうが、やはり吉村さんの解釈のとおり、上り坂の途上にある人が晴れがましいと詠んでおられるのでしょう。そうであれば「 (スペース)また」で将来のことを意味しているのかもしれませんが、多少無理があるかと思いました。
Posted by 夏目たかし at 2022年11月25日 11:13
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