2022年09月18日

19〜21番の歌

19〜21番の歌にコメントお願いします。

19 コンビニのツナマヨおにぎりほおばって米のなる木をまだ知らぬ子ら
20 裏返すたびに弾ける虫の音米咬むように繰り返し聴く
21 米原を越ゆるあたりに見し雪が恋の記憶のすべてなりたり
posted by かりんネット歌会 at 00:00| Comment(8) | 詠草
この記事へのコメント
21番の歌
もう50年も昔のことなのですが、京都からでて、不思議と米原、関ヶ原には雪が積もっていたことだけを、はっきり覚えております。この歌はまるで自分自身のことのようで、懐かしく一番に選びました。
Posted by 梅原秀敏 at 2022年09月20日 23:06
20 裏返すたびに弾ける虫の音米咬むように繰り返し聴く

コメツキムシと思い、拝読しました(私の勘違いでしたらすみません)。私の幼い頃、母に教えられて、遊んでみたような記憶が微かにあります。蛍が普通に飛び交う懐かしい時でした。
現代の子供達にも、ゲームやスマホよりも、自然の中で色々経験してほしいものです。
Posted by 蚫谷定幸 at 2022年09月21日 14:33
20番:小さなコメツキムシをひっくり返すと、パチッと跳ねて起き上がる。またひっくり返すと、また跳ねて起き上がる。
なんだか時間の浪費のような、虫にとってはいい迷惑でしかないような無意味な動作を延々と続けてしまった記憶は、それこそご飯を食べるように誰にでもあると思います。何か懐かしささえ覚えます。
あえて哲学的だったり、小野道風と蛙のような教訓的な表現が一首の中に無いのがいいなと感じました。
Posted by 東 洋子 at 2022年09月23日 00:38
21番:雪がほとんど降らない西日本の人間にとって、新幹線で東へ向かう時、京都からトンネルを抜けて米原に出るときの突然の雪景色には思わず心が浮き立ちます。
それは恋人に会いに行くときの高揚感だったのかも…と、過去を思い出している歌と読みました。
結句が「すべてになる日」とかだったら、過去になりつつある緊張感が感じられるかとも思ったのですが、どうでしょうか。
Posted by 東 洋子 at 2022年09月23日 20:29
21 米原を越ゆるあたりに見し雪が恋の記憶のすべてなりたり

潔さと未練の入り交ざる夢のなかのような高揚を感じます。どこか恋と記憶が結びつかない気がして、そのズレに不思議な浮遊感も加わり全体に美的な味わいが深いです。米原の地名が何事かの終着を予感させ上手いです。
Posted by 中山洋祐 at 2022年09月28日 14:00
19 コンビニのツナマヨおにぎりほおばって米のなる木をまだ知らぬ子ら

下の句に驚いたのですが、米の出来上がる過程を知らない都会の幼子たちということでしょうか。或いは、この子らは米やおにぎりが蛇口から出てくる水のようにどこからともなく際限なく湧いてくると思っているという皮肉?
私は田んぼがあちこちで見られる場所で育ったので、白いごはんが田んぼの稲からできていることは小さい頃から自明のことだったのですが、育つ過程を知らなければ「米のなる木」というファンタジーなのだなぁとしみじみしました。
私自身、不惑を過ぎてからウォーキングでオクラ・アスパラガス・キウイなどの育つ様子を見知って驚いたので、この子らと五十歩百歩だなぁと省みたりも。
Posted by 遠音 at 2022年09月29日 00:34
21 米原を越ゆるあたりに見し雪が恋の記憶のすべてなりたり

 東海道線の関ヶ原から米原辺りは雪が多いところで、冬場は積雪のためにたいてい徐行運転をしているし、大雪で関ヶ原〜米原間が不通になることも多い。そして米原から京都に近づくにつれ雪が少なくなって行くのが普通だ。この歌の〈われ〉は 東京か、京都かどちら方面に向かっているのだろう。「越ゆる」という表現と雪の多寡から考えて米原から見て雪の少なくなる京都方面に向かっているととりたい。恋の記憶の「ひとつ」ではなく「すべて」だというところが謎だが、そこに膨らみもあるのだろう。
 ただ結句の「なりたり」は見慣れない言い回しだ。「なり」は体言に接続しているから「断定」の助動詞。「たり」は用言の連用形に接続しているから「完了」の助動詞だが、むしろ「けり」(詠嘆あるいは過去)に繋げて「なりけり」の方がずっと自然だろう 。
Posted by 鹿取未放 at 2022年09月29日 16:04
19 コンビニのツナマヨおにぎりほおばって米のなる木をまだ知らぬ子ら

 「米のなる木」は聞いた歌だと思って調べたら、参勤交替の際、備前藩の荷担役が唄っていたといわれる道中唄だという。【「米のなる木」 わたしゃ備前の岡山育ち/米のなる木をまだ知らぬ/(ア ヨイショ ヨイショ ヨイショ ヨイショ) 備前岡山 住み良いところ/白いお飯(おまま)に鯛添えて/(ア ヨイショ ヨイショ ヨイショ ヨイショ)
(以下略)】
 元歌を知ると、この歌のアレンジの面白さが光る。白いご飯に鯛の歌詞が、簡便なコンビニのツナマヨおにぎりになる。でも、B級グルメかもしれないが、小さな子供達は洋風ミックスのツナマヨおにぎりがきっと大好きなのだ。そして、まだ幼いので、あるいは都会育ちなので、「米のなる木」を見たこともなく、その木からおにぎりの元になるお米が採れるなんて知らないのだ。親から子を見た歌だろうか、子らを肯定するまなざしに余裕があって楽しい。

Posted by 鹿取未放 at 2022年09月29日 16:30
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