2022年08月18日

4〜6番の歌

4〜6番の歌にコメントお願いします。

 4 にぎやかな祭りのあとのさみしさを思へばハワイに旅したくなし

 5 金魚ぽつりあぶくを吐いて水の底せんそう未満の祭りのあとに

 6 いつぽんの槐(アカシア)に花咲き花散りてわたくしだけの祭りが終はる


posted by かりんネット歌会 at 20:35| Comment(11) | 詠草
この記事へのコメント
6 いつぽんの槐(アカシア)に花咲き花散りてわたくしだけの祭りが終はる

槐の花が咲き、散花となり、一つの季節が過ぎ去ろうとしている。それは私にとって一つの祭りであり、その祭りが終わる。人の人生と重ね合わせたような、深さを私は抱きました。
Posted by 蚫谷定幸 at 2022年08月19日 00:14
6番歌。あんなに鮮やかに咲きほこり、香りもよいのに話題にならない不思議な花ですよね。季節の巡りの指標であるひっそりとした祭りにふさわしいのでしょう。心に秘めた愛情が感じられて好感を持ちました。
Posted by 田浦将 at 2022年08月19日 14:26
6  いつぽんの槐(アカシア)に花咲き花散りてわたくしだけの祭りが終はる

淡淡とした詠み口。「わたくしだけの祭り」とは片恋か、マイブームのようなことか、あるいは、人生での何か大事なことか。それが終わったのだ。咲く花散りて、とか、花咲き散りて、ではなく、字余りにしても「花」をリフレインするのは、祭りでの作者のふるまいや思いを暗示する意図があったのだろう。それは成功していると思う。
Posted by 中村暢夫 at 2022年08月20日 06:55
6 いつぽんの槐(アカシア)に花咲き花散りてわたくしだけの祭りが終はる

 槐=アカシアは中国原産で古くに日本に渡来、関東では7月初め、地味なクリーム色の花を付けます。
 一方、針槐=ニセアカシアは北米原産で、明治期にアカシアと称して輸入されました。関東では5月初め頃、白色・蝶型の美しい花が藤房のように垂れて咲きます。槐と同じマメ科ですが、幹に棘があるので針槐と呼ばれています。輸入時の経緯により、現在でもアカシアとニセアカシアは混同されているのだそうです。この歌は槐の漢字を宛てているので、地味な花を咲かせる古来種。
 余談ですが、札幌のアカシア並木、西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」、北原白秋の「この道」の「あかしや」、清岡卓行の「アカシヤの大連」、これらのアカシアは全て厳密にはニセアカシアで、白く可憐な花のイメージです。
Posted by 鹿取未放 at 2022年08月20日 16:06
5 金魚ぽつりあぶくを吐いて水の底せんそう未満の祭りのあとに

何となく投げやりな感じがいいと思います。特に「せんそう未満」というよくわからない言葉がこころに引っ掛かりました。
Posted by 福島隆史 at 2022年08月21日 15:46
5番 お祭りの金魚すくいでとった金魚が死んでしまった様子と受け止めました。金魚は死んでからしばらく経つと体にガスが溜まって浮いてきますが、死の直後は沈んでいることが多いようです。まさに今、あぶくを吐きながら沈んでいったのかもしれません。「せんそう未満」という表現に、金魚すくいは金魚にとっては限りなく戦争に近いと捉えている作者を想い、共感しました。
Posted by 吉村享子 at 2022年08月24日 16:01
6番:槐の花が「わたくしだけの祭り」に、よく合っていると思いました。どんなに人目につかない場所に咲いていたとしても、桜の花だとこの雰囲気にはならないので…
槐もいっぽん、わたしもひとり。花が散ったときに初めて、花が咲いている期間は私の心も微かに浮き立っていたのだ、と気が付いたのでしょう。
Posted by 東 洋子 at 2022年08月26日 18:10
5  金魚ぽつりあぶくを吐いて水の底せんそう未満の祭りのあとに

お疲れ気味の金魚の倦怠感と「せんそう未満」という独特な表現+ひらがな表記によって醸し出される一種の“かわいらしさ”とが、惨禍にはあたらない地域のゆるい時間をユニークに象徴している。
Posted by 若槻真美子 at 2022年08月30日 00:16
6  いつぽんの槐(アカシア)に花咲き花散りてわたくしだけの祭りが終はる

他人と何かを比べて一喜一憂せず、自分の尺度のなかで盛り上がりまた平常心に戻るという自己完結感、人生の有り様が強く清々しくアカシアに託されている。
Posted by 若槻真美子 at 2022年08月30日 00:21
5 初句の字余りや、他の方のご指摘のとおり「せんそう未満」という言葉がフックのある表現だと感じます。
金魚すくいは、夏の風物詩というイメージがありながら実際は金魚たちにとっては残酷なことをしており、そのことを自覚している作中主体のどことなく罪悪感のある視点が良いと思いました。
Posted by 古河惺 at 2022年08月30日 12:32
4 にぎやかな祭りのあとのさみしさを思へばハワイに旅したくなし

ハワイに行ったことがないのではなく、旅行経験があるからこそ「旅したくなし」と思ったのでしょう。
ただ、上の句の心情がどの「祭り」でも成立する内容のため、「ハワイ」が全然別の地名でも歌が成り立ってしまうところがもったいないと思ってしまいました。
例えば「にぎやかな」の部分をハワイの祭りの描写にしたら歌がより鮮やかになるかと思います。


5 金魚ぽつりあぶくを吐いて水の底せんそう未満の祭りのあとに

夜祭が終わった後の金魚すくいの水場が浮かびました。
人に掬われることなく逃げ切った金魚に訪れた異様な静けさ、濃い闇。
ただ、「せんそう未満」というやわらかな表記なので、深刻な描写ではなく、逃げ切った金魚がぼんやりと漂っている倦怠感を主眼にしたのだと思います。
「ぽつりあぶくを吐いて」が特に巧いです。そのあぶくひとつがはっきりわかるということは、他にあぶくや波紋などがなく水面が静まっている様子が伝わってきますし、水中の金魚の数も少ないのだろうと察せられます。
Posted by 遠音 at 2022年08月30日 22:37
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]