2020年06月18日

4〜6番の歌

4〜6番の歌にコメントをお願いします。

 4 雨降らしは両性具有少しだけかなしくなりたる磯実習

 5 過ちのようなどしゃ降り 街を行くあの人もあの人も帰れない

 6 いくたびもひと降る岬かがやいて写真撮りたりときの切れ間に


posted by かりんネット歌会 at 22:32| Comment(27) | 詠草
この記事へのコメント
碧野みちるです。よろしくお願い申し上げます。

4.浅学のため「磯実習」の読み方がわからず調べました。「いそじっしゅう」と読むのなら五音になるため、結句の字足らずが気になりました。ですが個人的には、その字足らずの置いてきぼり感が、「少しだけかなしく」なる情感とマッチしている印象を持ちます。「両性具有」の観点から、鑑賞において作中主体の「性自認」に関連する読みを取るなら、作者の〈われ〉がこの一首のみだと見えてこず、読みを深めるのに苦戦しました。

5.一読してすんなり情感が想起できます。「どしゃ降り」の烈しさや理不尽さを「過ち」と比喩することで、言葉にならない切なさや虚しさを感じ取ることができました。また下句の句跨りで独特のリズムが生まれているので好印象、何度も口ずさみたくなります。一方で、このような歌構築は昨今よく見られると私感するので、何かしらの具象性のスパイスを望んでしまいます。

6.「いくたびもひと降る岬」という景の表現を「自殺の名所である岬」と碧野は解釈し、その上で本表現は無機質すぎて、どこか浮いていると思えてしまいました。作中主体の目線や立場が、「人間」という属性から解離し、俯瞰しすぎていて掴みどころがないといいますか。少し悪い意味でドライすぎる気がします。ただ、死と生(「かがやいて」から想起)の対比には瞠目し、一首の中に巧く活きていると感じました。
Posted by 碧野みちる at 2020年06月19日 01:17
4  雨降らしは両性具有少しだけかなしくなりたる磯実習
昔、春、子ども達と一緒に三浦海岸で自然観察会があり、「雨降らし」を初めて見たことを思い出しました。春の海は透き通っていました。雨降らしが浮かんでいました。手に持ってみると、紫の液体がさっと出てきました。また、ラーメンのような卵も浮かんでいました。
雨降らしは「両性具有」なのですね。植物でも、栗や、クスノキ、つばきなど雌雄同株もあり、花を咲かせ、実ができています。違和感はありませんが、
両性具有が少し悲しいと。生き物には、不思議がいっぱい詰まっています。人も同じでは。
生き物の不思議が実習の面白さだと思います。知れば、知るほど、興味はつきないですね。雨降らしのその面白さが出てくると、もっと歌の深みが出てくるのでは。「雨降らし」という題材が魅力的でした。
Posted by 山下騰子 at 2020年06月19日 16:28
5.過ちのようなどしゃ降りは、おそらくゲリラ豪雨ような降雨であり、その激しさに自分の過ちも責められている、そのように取りました。
街を行くあの人もあの人も帰れないは、恐らく自分も傘がなくて帰れないのでしょう。上句の比喩に対して下句が、状況描写になってしまったことが、少し残念に思いました。
Posted by コ力 聖也 at 2020年06月19日 17:40
5  過ちのようなどしゃ降り 街を行くあの人もあの人も帰れない

上句の措辞が好い。過ち。どしゃ降りのなかを行く、どの人も、帰れない。では、どこへ行くのか。ゲリラ豪雨で、電車が止まったのか、というのは野暮というもの。心象の景と読んだほうがいいのだろうか。
Posted by 中村暢夫 at 2020年06月19日 18:29
5番:「過ち」とは、お天道様の過ちなのか人間の過ちなのか、両方の意味を含んでいるのが良いと思いました。
下の句をもっと具体的に、例えば「わたしもあの人も」にしたらどうだろう、などと思ったのですが、それだと二人の物語になってしまい、作者がおそらく表現したかった「帰れない大勢の人々」が見えなくなってしまいますよね。あえて、の状況描写だったのかな、と。
Posted by 東 洋子 at 2020年06月19日 20:28
4、両性具有という目の着けどころがとても面白いと感じました
かなしいの中身が少し解るとより説得力のある作品になったのではないかと思います
結句の字足らずはやはり落ち着かない印象です
Posted by 細井誠治 at 2020年06月19日 21:17
5、過ちのようなどしゃ降りという表現に魅力がありますね
誰も彼も帰ることはできないのだという把握に不思議な説得力があります。印象的な一首でした
Posted by 細井誠治 at 2020年06月19日 21:35
5 過ちのようなどしゃ降り 街を行くあの人もあの人も帰れない

どしゃ降りへの修飾語〈過ちのような〉が面白い。
ただどしゃ降りでは街は歩けない状態でしょうから、「街を行く」に少し違和感
を感じました。
Posted by 森田鞠子 at 2020年06月19日 23:11
6番
「いくたびもひと降る岬」とは、やはり
岬から身を投げるひとが多くいるという
ことなのでしょう。作者も「降る」ひとも
それぞれに この岬をおとずれて、
「降る」ひとは この岬の美しい景色を
最期の記憶とし、作者は美しい岬の景色を
カメラにおさめて日常へと戻っていったと
解釈しています。
死をえらぶひとも 生をえらぶひとも、
共通するのは、その瞳に 美しい岬の景色が映ったこと。ひとりひとりに耀く瞬間が
内在していて それはけして 死によって
踏みにじられるものではない、
耀きは耀きとして 永遠にとどめおかれる
のであろうと 身勝手に解釈いたしました。
手垢のついていない表現や、
作者の目線の優しさにも惹かれて、
この作品に1票いれました。



Posted by 橘 まゆ at 2020年06月20日 10:39
 4 雨降らしは両性具有少しだけかなしくなりたる磯実習

ジェンダーの枷から解き放たれたい自分がいる。でも、そのようには生きられない現実がある。いっそ、このアメフラシに生まれついていたらよかった。…そんな心の叫びが、わたしには想像されて、印象的な一首でした。

Posted by ヨコタヒロユキ at 2020年06月20日 19:06
6、結句のときの切れ間に、が解るようでいまひとつ解らないのが残念に思いました
ひと降る岬、は碧野さん橘さんと同じように読みました
Posted by 細井誠治 at 2020年06月21日 06:16
 5 過ちのようなどしゃ降り 街を行くあの人もあの人も帰れない

どしゃ降りに遭い街角で足止めをくっている人たち、という現実の光景と、いま迎えた人生の嵐の中で立ちすくむ自分、という心象風景が重なって、いろいろ想像が膨らむなあ、と感じました。すてきだなと思いました。
Posted by ヨコタヒロユキ at 2020年06月21日 09:03
5  過ちのようなどしゃ降り 街を行くあの人もあの人も帰れない

「本来あるべき降り時を間違えた」と、一つにはことば通りに受け取れます。しかし、下の句からは、人間の誰しもが持ち得る隠しようもない過ちの集積が限界に達し、ついに堰を切ったように噴出してしまったような印象があります。人間の負う原罪を思いました。
Posted by 若槻真美子 at 2020年06月21日 19:27
 4 雨降らしは両性具有少しだけかなしくなりたる磯実習

アメフラシという不思議な生き物。磯で海の生命の驚異に対面している光景が浮かびますが、両性具有であることと「かなしく」なることのつながりに共感を持ちにくかったです。生殖する生命そのものが「かなしい」と感じたのか、作者自身のアイデンティティとアメフラシの両性具有が個人的に響き合ったのか。「少しだけ」という控えめなかなしさが、ジェンダーというテーマにしてはとっても繊細でうっすらしていて、ねえねえどうしてなの?と、もうすこし踏み込んで聞きたい気持ちにさせられました。


 5 過ちのようなどしゃ降り 街を行くあの人もあの人も帰れない

「過ちのようなどしゃ降り」がインパクト強くて好きです。作者は「あの人もあの人も」帰れない、と、離れた地点からどしゃ降りの街で困っている人たちの風景を見ています。広重の雨の風景のように、鳥瞰的な視点で見る点描的な人物ですが、突き放した視線ではなく、「あの人もあの人も」と平坦に並べてみることで、その困り加減、自然の力を前にした人の弱々しさに共感し、自分を重ねているように感じます。

 6 いくたびもひと降る岬かがやいて写真撮りたりときの切れ間に

「ひと降る岬」がわかりにくかったです。碧野さんや橘さんのおっしゃるように自殺の名所である美しい岬で写真を撮るという解釈ならば、ドラマチックな対比が広がりますが、「写真撮りたりときの切れ間に」というのが主体である作者のスタンスだとしたら、「ひと降る」という尋常ならざる光景に対してちょっと心的距離がありすぎるように感じます。
Posted by モロクラ タマラ at 2020年06月22日 15:24
4.アメフラシは進化の途中で両性具有という方略を身に着けた生物なのでしょう。自分たちと異なる進化的方略をとってきた不思議な生物を「かなしい」と表現することには、その生物への尊敬の気持ちと、無意識に意識化されている人間中心的な視点の両方が見え隠れしていると思います。自らのアイデンティティの揺らぎと重ねて読む向きもありましたが、そうすると少し「両性具有」とその状況が結びつきすぎて歌が軽くなってしまうような気がしました。
Posted by 貝澤駿一 at 2020年06月22日 20:40
4. 「雨降らし」なんて不名誉な名前…。見た目もハッキリ言って気持ち悪い…。そして両性具有…。両性具有という響きに悲しくなったのは、異形に感じる悲しみでしょうか。心に滲みてきます。
Posted by 小松佳奈 at 2020年06月23日 18:47
5. 初句の「過ちのような土砂降り」に魅かれました。さらに二句切れが不穏な予感をさせてゾクゾクします。自分とあの人は背負うものが違うのに、この土砂降りの前では等しく立ち往生してしまう、情景も面白いと思いました。
Posted by 小松佳奈 at 2020年06月23日 19:01
4 雨降らしは両性具有少しだけかなしくなりたる磯実習

磯実習で「雨降らしは両性具有」と聞いた時ふっと心をよぎった恋をしている方のお歌と読みました。それでは愛は語れない。。。可哀そう。
ジェンダーより軽く恋をしている人の心の揺れを感じます。雨降らしは苦手ですが、
若さの眩しい今回の気に入りの一首です。
Posted by 中村久美子 at 2020年06月26日 15:20
6いくたびもひと降る岬かがやいて写真撮りたりときの切れ間に

一日に何回か来るスコールを想像しました。「ひと降る」は「一雨」と採りました。「一雨」は、一時、ザーと降る激しい雨。そのたびに輝く岬を写真に収めた。
「ときの切れ間に」は、スコールとスコールの間。
場所は、ハワイかグアムのような気がします。久しぶりに行ってみたくなりました。


Posted by 石橋 陽子 at 2020年06月26日 21:46
追記
ハワイ、または、グアム、…のスコールのある地域にお住まいだった方の作品とお見受けしました。
Posted by 石橋陽子 at 2020年06月27日 10:33


最初に読んだときに、個人的にバンザイクリフが浮かびました。私も行きましたが美しい観光スポットにさえなっていましたのであのマリアナの碧い海との対比があまりに鮮烈でした。しかしそういったヒントは詠まれていないので、一般的な自殺の名所の岬だとして、それでも追い詰められて飛び降りたという意味ではひとが降るとは壮絶な言葉だと思います。
それを考えると、下の句は、観光名所でもある岬の美しさに思わず写真を撮る行為を自分で揶揄しているのだろうかと思いましたがだとしたら、少し読みとるのが難しいと思いました。でも印象に残る歌でした。
Posted by 光野律子 at 2020年06月28日 10:11
6 つづき

石橋さんのコメントを読みまして、ひと雨という意味でしたら歌の読みとりが全く違ってくるので ひと降る がネックになると感じました。
Posted by 光野律子 at 2020年06月28日 10:48
6番
この歌を読んだとき 6月は沖縄慰霊の
祈りの月だということもあり、はじめは
沖縄戦を連想しました。
手をとりあって、喜屋武岬から
海に身を投げるひとたちの姿を、
むかし、テレビの特別番組で見たとき、
なみだがでました。
でも 他の岬なのかも、とも思いました。
どこの岬か 知りたいです。
Posted by 橘 まゆ at 2020年06月28日 13:27
4・下句韻律について。もしかしたら作者は下句を8音+6音=14音とされたのか?恂{邦雄がやったような句割れとはちがう音数合わせ近年結構見られますが、いずれにせよ、この歌は、上句、字余りありつつも定型の韻律感を強く感じさせる歌なので、結句はやはり7音で、と思います。内容的にはとても面白いと思いました。
5・面白い歌だと思います。上、下句、それぞれに意味的な見所があるのですが、「街」でも「人」でもいいので、どこかに1つだけ景を具体的にする言葉が加われば、それぞれの見所(アイデア)がそれとして突出せずによりリアルになったのでは。
Posted by 米川千嘉子 at 2020年06月28日 20:52
6・「人」か「一雨」か、なるほど!でした。「一雨」説の場合、やはり「ひと降る」の表現は不完全でしょう。「人」だとすると、自分も詠ってみたいようなイメージですが、その場合は「降る」が現在形ではまずいような。「時の切れ目」はよくありますが「切れ間」は最適か?
Posted by 米川千嘉子 at 2020年06月28日 21:03
4 雨降らしは両性具有少しだけかなしくなりたる磯実習

両性具有であることに「かなしく」なったという感性に惹かれました。
私自身は、カタツムリが両性具有だと知った時に、人間や他の生き物にはない原始の気配を感じて畏怖を覚えたのですが、こちらの歌では、そうした雨降らしに心を寄せていて、その姿勢が好ましく感じました。
「かなしく」が「悲しく」なのか「愛しく」なのかで解釈は変わると思いますが、個人的には、両方混じった愛おしさ、せつなさなのだろうと思います。性が分かれているからこその幸せもあるのに、という“かなしさ”。
Posted by 遠音 at 2020年06月29日 06:52
4 三句・四句、押しが強いのに緩い。

5 比喩として使った「過ち」が遠く「帰れない」を引き出すのが面白い。三句「街を行く」はもう一工夫あってよい。

6 「ひと降る」の現在形が回収されていない。結句「ときの切れ間に」は雰囲気に頼りすぎ。
Posted by 坂井修一 at 2020年06月30日 04:51
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