2020年06月18日

19〜21番の歌

19〜21番の歌にコメントをお願いします。

 19 さくらばな神経衰弱のごとく降り君もわれもこの日々のはらはら

 20 参観の昇降口にとりどりの鉢植えを売る学年主任

 21 閉ざされし本棚のうへ降りつもる時といふ名の雪淡くあり


posted by かりんネット歌会 at 22:30| Comment(13) | 詠草
この記事へのコメント
碧野みちるです。よろしくお願い申し上げます。

20.一読して歌意は取りやすかったです。先生が鉢植えを売ることもある、という現代の学校事情に関する個人的な発見もありました。ただ、歌の構成が説明的きらいがあるかと存じます。読み終わりと共に歌がすとんと落ちすぎてしまって、もう少し叙情や作者の感情が感じられる言葉の斡旋が欲しいと感じました(わがまま)。

21.「時間経過で積もった埃」を「時という名の雪」という直喩表現にした大胆さをどう評価するか分かれる気がします(碧野は、一首単位では少し無理がある表現だと感じました)。あと「本棚が閉ざされる」という表現も、少々無理がある印象です。扉付きの本棚なのか。この件で多少引っかかってしまいましたが、これは鑑賞者の感性の問題だとも思ったりします。歌自体はささやかな幻想や幻惑感があり、連作の最後に置かれていたりしたら碧野は昂揚します。
Posted by 碧野みちる at 2020年06月19日 01:29
21 閉ざされし本棚のうへ降りつもる時といふ名の雪淡くあり

扉のある本棚。実景とも比喩とも。時間の経過を雪が降ると表現する。降りつもると淡いは齟齬なのか。時間はどれくらい経ったのだろう。私の実家の書棚には数十年雪が降っている。
Posted by 中村暢夫 at 2020年06月19日 18:32
21 閉ざされし本棚のうへ降りつもる時といふ名の雪淡くあり
碧野さんが書かれていることと重なるかもしれませんが、積もった埃を、時といふ名の雪というのは、説明的で少し無理があるのかと思いましたが
ずっしりとした古い本棚を連想させ、好きな一首でした。
Posted by コ力 聖也 at 2020年06月20日 11:45
20
営利から縁遠いようにみえる学校教育と、その中にすら入り込んでこざるをえない経済取引。学年主任ともなれば、後者にもかかわらないわけにはいかないのでしょう。こうしたあたりを面白く読ませて頂きました。
Posted by 東山研司 at 2020年06月20日 21:24
21、降りつもる時を雪に喩えたのはやはり若干強引な感じです
発想や歌の構成にやや既視感があるようにも思いました
Posted by 細井誠治 at 2020年06月21日 05:12
19.「さくらばな」の初句からどうしても馬場先生や岡本かの子の歌を連想してしまうので、まず一瞬身構えるところがあります。それはそれとして…。
「神経衰弱のごとく降り」が鮮烈な比喩になっている分、結句の「はらはら」とのアンバランスが気になりました。月並みな批評ですが、力強い上句を下句が支え切れていないような気がします。「はらはらする」「はらはらと降る」の掛詞になっているのもどこか見え透いてしまっているので、肝心の「神経衰弱」が題フリのようになってしまっているのが気になりました。

20.現代の学校現場の風景として、面白い部分を切り取っていると思います。「学年主任」はいわば中間管理職のようなものですから、「鉢植えを売る」という風景にちょっとした悲哀のようなものが見えるとなお面白いと思いました。
Posted by 貝澤駿一 at 2020年06月22日 21:00
20 参観の昇降口にとりどりの鉢植えを売る学年主任
学校のために学年主任が鉢植えを売ることを初めて知りました。
「とりどり」の言葉からは美しい鉢植えがイメージされます。美しい昇降口のイメージを持って読みすすめると突然に「売る」に遭遇しびっくりしました。
学年主任の苦労を歌うのであれば「とりどり」ではなく、主任の売るための努力を想起させる言葉のほうがインパクトがあると思いました。また参観はきちんと参観日にしたほうがいいと思いました。勝手なことを言ってすみません。
Posted by 森田鞠子 at 2020年06月25日 17:23
21番:再び開かれる日を待っている古い本棚を詠まれた印象深い一首でした。
「雪」の表現に関しては、前出の皆様と同じ意見です。個人的な見解ですが、別の物に例えるのではなくそのまま「時といふ名の塵」のほうが良いのではないかと思うのですがどうでしょうか。
部屋の隅に溜まったホコリはきれいじゃありませんが「塵」という字そのものは、なんかいいと思うので(梁塵秘抄・塵劫記・小説の人物名など)。
Posted by 東 洋子 at 2020年06月27日 11:38
19

桜の花だけがもつ、狂気まではいかないまでも神経症的な側面をひりひりと浮き彫りにした歌だと思い胸に響きました。今年の桜ならましてそうだったのかもしれません。
短歌は歌であるという原点を思うと下の句の、はらはらというのは、上の句の重みに比して流れてしまっているようでありながら素敵な展開でもあると感じました。惹かれる歌でした。
Posted by 光野律子 at 2020年06月28日 09:18
19・「しづ心なく花の散るらむ」の現代版が「神経衰弱」「日々のはらはら」になってくるようで面白い着想だと思いました。ただ「さくらばな」と「神経衰弱」が「ごとく」で繋がるのは文法的に荒っぽいような。「はらはら」だけでは済まない、痛みの感覚を入れたいのは共感できるので、「神経衰弱」まで言ってしまわない言葉はないものでしょうか。
20・文化祭とか農業科とかでしょうか。いずれにしても、どういう理由なのかがわかることで、微笑ましくもシビアにもなるような。
Posted by 米川千嘉子 at 2020年06月28日 21:39
21番の歌

本棚に積もった埃を雪と表現するのはそんなに無理がないかなと思いました。あるいは、埃ではなく概念としての時間の経過だけと見てもギリギリいけるかなと。ただ、「閉ざされし本棚のうへ」という点が気になってしまって、扉付きの本棚であれば、日頃使っていても上に埃は溜まるものではないかと思いました(丁寧に掃除が行き届いていれば別ですが…)。いずれにしても、本棚が具体的に見えづらいという問題がありそうです。
Posted by 辻聡之 at 2020年06月28日 23:06
19  さくらばな神経衰弱のごとく降り君もわれもこの日々のはらはら

「神経衰弱」はトランプ遊びのほうか、または夏目漱石などの時代の「神経衰弱」という意味で使っているのか、どちらにも取れるのだけれど、どちらでもあまり意味が判然としない、というのがもったいなかった感じがします。
たぶん、「はらはら」を散る様子の「はらはら」と「はらはらする」という不安感との二重の意味にかけよう、そうすると「神経衰弱」との連想が利く、という想定があるのかもしれませんが、そう解釈すると、その「神経衰弱」の実体は何なのかということが解らなくなってしまうんですよねぇ。
歌の核になるものがあれば活きてくるように思います。
Posted by おーい at 2020年06月29日 22:23
19 「のごとく」「この日々の」が緩い。

20 「とりどりの」だけでは不十分。色や匂いが立つように。

21 「時といふ名の・雪・淡くあり」は自己陶酔的で弱い。
Posted by 坂井修一 at 2020年06月30日 04:11
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