2020年06月18日

34〜35番の歌

34〜35番の歌にコメントをお願いします。

 34 夕闇の狭庭の隅の白百合に降る月読の光幽けし

 35 寄り添えず降りることさえ許されずただただグラスの水滴でいる


posted by かりんネット歌会 at 22:28| Comment(16) | 詠草
この記事へのコメント
自由な意思表示も儘ならず、気軽に近づく行動も取りにくい現代の不条理がよく詠われていると思います。鬱々とした気持ちを、大声で叫び、消し去りたい。そんな感情をぐっと押さえ「グラスの水滴」になって踏みとどまっている。上句と下句の措辞のつながりが素晴らしく、深い哀しみも感じました。
Posted by 竹村正一 at 2020年06月19日 10:54
35 寄り添えず降りることさえ許されずただただグラスの水滴でいる
竹村様と同じように、「グラスの水滴」に惹かれた歌です。
友か恋人か君か二人の関係で寄り添うこともできず、かといって、分かれることも許されないと。ただ、側にいてあげるだけの状態かな。
二人の関係の深刻さ、微妙な感じが伝わります。許されないのは、なぜか不明だけれど、男と女の関係を想像します。「降りる」とは、二人の関係を終止することか。「降りる」「グラスの水滴」の言葉など、大人の恋の意味深な味わいを醸し出していて、歌としての魅力を感じました。
Posted by 山下騰子 at 2020年06月19日 15:59
34 夕闇の狭庭の隅の白百合に降る月読の光幽けし
良寛の「月読みの光りを待ちて帰りませ山路は栗の毬の多きに」を彷彿させる歌でした「幽けし」は今にも光り、音、色などがかすかで、今にも消えそうなさま。
狭庭に咲いている白百合の花に月の光がかすかに当たっている夕闇の世界。「幽けし」と「白百合」が響き合った景の美しさに感動しました。
Posted by 山下騰子 at 2020年06月19日 16:05
34 夕闇の狭庭の隅の白百合に降る月読の光幽けし

美しげな景。ただ、雰囲気のある言葉を盛りすぎではないかなぁ。辞書によれば、夕闇とは、日没後、月が出るまでの間の暗闇、とあり、齟齬が…。《あわい》を詠んだものか。
Posted by 中村暢夫 at 2020年06月19日 18:36
 35 寄り添えず降りることさえ許されずただただグラスの水滴でいる

恋人同士か、夫婦か、親友か、いずれにせよ、何か膠着状態に陥ってしまった人間関係、的なものがイメージされました。その中で、どうにもできずに心が震える自分を、グラスの水滴、と詠ったところがすてきだなと思いました。
Posted by ヨコタヒロユキ at 2020年06月19日 21:03
35 寄り添えず降りることさえ許されずただただグラスの水滴でいる

前評者と同感です。グラスの水滴のたとえが素晴らしいと思いました。
Posted by 森田鞠子 at 2020年06月19日 23:28
碧野みちるです。よろしくお願い申し上げます。

34.一読して歌意は通ります。美しい夜と白と花の景は王道で見事です。ただ、下句まで読み切るとすとんと落ちてしまい「ただごと歌」の印象を受けました。「幽」という形容も美しすぎて逆に現実離れしすぎている気がします。情景描写だけにとどまらぬ景の切り取り方を究めるべきかと存じます。作中主体の身体や居場所などの詠み込みがあると、碧野はこの歌の作者と共鳴することができる気がするので、わがままながらそれを望んでしまいます。

35.一読して、これは良い意味での詩情を感じ取ることができた気がします。上句の言い回しで、作者(作中主体)の人間模様を垣間見る読みもできます。作中主体自らを「水滴」とたとえる比喩も巧みだと思いました。ただ、この構築を取る歌は昨今よく見受けられるという印象もあります。上句をもう少し整理してTPOや作者の性格等をちらつかせ、差別化を図ることもできるかと存じます。
Posted by 碧野みちる at 2020年06月20日 13:11
35 寄り添えず降りることさえ許されずただただグラスの水滴でいる

人間模様とか、恋とかを連想するのは、初句の「寄り添えず」があるからですね。でも、「降りる」は、何かの問題とか、数人がかかわっているものから自分だけが抜けることを言うことはあっても、一対一の関係を解消することを連想するのはむずかしいです。さらに「許されず」ですから、なにか社会的な立場が関わっているように思います。
Posted by 久山倫代 at 2020年06月20日 17:04
35、進むことも退くこともできない或る人との関係が象徴的に詠われているのかなと思いました
ただ、降りるという語は水滴の動きや状態を表すものとしてはややふさわしくないようにも思われます
全体としては詩的な表現が採られており気になった一首でした
Posted by 細井誠治 at 2020年06月20日 21:51
34、美しいイメージの語を並べ過ぎたために?作者の感動が見えにくくなってしまったようです
韻律も美しいのですが、そのために却って一首の印象が薄まったように感じました
Posted by 細井誠治 at 2020年06月21日 08:07
34 夕闇の狭庭の隅の白百合に降る月読の光幽けし

調べが美しく、また言葉の選び方も繊細なところが、すてきだと思いました。歌が直接指し示しているものを超えて、いろいろな想像が広がると思いました。
Posted by ヨコタヒロユキ at 2020年06月21日 09:11
 35 寄り添えず降りることさえ許されずただただグラスの水滴でいる

内側に縮まろうとする表面張力の性質を捉え、現状から察するに、本来あるべき人との接触を制限され、しかし、そこ(コロナ禍の騒動)から離脱するわけにもいかず、内にこもるしかないという心情をうまく表しています。
また、コロナでなくとも、動きようがない状況での冷たい孤独と焦燥の表出として成り立つと思います。
Posted by 若槻真美子 at 2020年06月27日 11:56
34番:本当に美しいものを見てしまったら、その感動をそのまま人に伝えずにはいられないですよね。作者の方の感動がストレートに伝わってくる一首です。
前出のヨコタさんが「直接指し示しているものを超えて、いろいろな想像が広がる」と言われていますが、まさにその通りで、その通りだからこそ、例えば「白百合」ではなく「割れたバケツ」「空のプランター」「仰向いたカナブン」とかだったら悪人正機説っぽくてそれもいいかもと思ってしまいました。(すみません、個人的な好みです)
Posted by 東 洋子 at 2020年06月27日 18:09
35・一読気分のある感じ惹かれたのですが、「寄り添」うことと「降りる」ことは厳密に対になるのか。「グラスの水滴」は詩的な感じなのだけど、どういう特性においてそのようだ、というのか。あらためて考えるとむずかしい歌のような。
Posted by 米川千嘉子 at 2020年06月28日 21:58
34 夕闇の狭庭の隅の白百合に降る月読の光幽けし

言葉から喚起されるイメージの繋がりに無理がなく、スーッと読めました。ただ、そのスーッと読めることが利点にも弱点にもなるようにも思いました。上三句のサ行音の重なりと、月の光の静かな感じはよく合ってると思います。



35 寄り添えず降りることさえ許されずただただグラスの水滴でいる

気分として伝わってくる歌で惹かれました。ただ、グラスについている水滴は、グラスに寄り添えているぞ?とも思ったり、深く考えてゆくと謎めいてきます。


Posted by 遠藤由季 at 2020年06月29日 08:36
34 「狭庭」「月読」は、詩的なようで言葉の雰囲気に頼っている感じ。「光幽けし」は、結句として弱いのでは。

35 男女の関係か。「さえ許されず」は甘いかも。「グラスの水滴」はおもしろいと思う。「寄り添う」かどうかではなく、透明でひんやりした感触を言ったのではないか。
Posted by 坂井修一 at 2020年06月29日 22:05
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