2020年05月18日

37〜40番の歌

37〜40番の歌にコメントをお願いします。

 37 酒焼けの老女の笑顔にみな笑う今夜しずかな春の角打ち

 38 マフラーを渡しそびれてそのまんま酒田の駅にはるのゆき輝る

 39 おういおうい、夜の山より呼ばうこえ酒吞童子はかなしきおとこ

 40 ほんとうにかなしいときにマンモスはよぎったろうか酒井法子を


posted by かりんネット歌会 at 20:22| Comment(14) | 詠草
この記事へのコメント
37 酒焼けの老女の笑顔にみな笑う今夜しずかな春の角打ち

酒屋さんで、立ちながら飲んでいる場面を想像しました。その中、一人の老女が顔を赤らめ、楽しく飲んでいる。その笑顔に周りの人もみなつられて笑っている。そんな春の夜の和やかな状況が醸し出されていて好感をもちました。「老女」の存在が上手く雰囲気を作り出していていいなと感じました。
Posted by 山下騰子 at 2020年05月19日 08:57
37 酒焼けの老女の笑顔にみな笑う今夜しずかな春の角打ち

酒焼け 春の角打ちなどなかなか出てこない言葉だと思いますが、綺麗な言葉を斡旋されていてで
目に見えてくるような光景の歌だと思いました。

Posted by コ力 聖也 at 2020年05月19日 12:02
37、酒焼けの老女の笑顔にみな笑う今夜しずかな春の角打ち

酒量のいかない私も、この場所に居たくなる作品。
たった今、気が付いたのですが、「〜笑顔にみな笑う」と「今夜しずかな春の角打ち」。「笑う」と「しずかな」に少し違和感を覚えました。「笑まう」であれば、「今夜(今宵)しずかな春の角打ち」が活きる気がしましたが、着き過ぎのような気もしています。
Posted by 石橋陽子 at 2020年05月19日 16:57
39番 おういおうい、夜の山より呼ばうこえ酒吞童子はかなしきおとこ

酒呑童子は鬼の一種で、源頼光に退治されたとされます。酒を好むという点が人々の興味をひき、各地の伝説にも登場します。
「おういおうい」という呼びかけは一緒に酒を飲む友を求めているのかもしれません。しかし、異類の鬼とともに酒を飲む者はいません。
酒呑童子の孤独は深まります。
癒されないそのかなしさ。結句を「かなしきおとこ」と体言止めで終わらせて余韻が深まっています。とても印象的なお歌です。
Posted by 幸原千明 at 2020年05月20日 05:25
40番:マンモスおかぴー(おもしろい)歌をありがとうございます。
のりぴー語の「マンモス」とは単に「すごい」という意味にしかすぎません。が、形の無い概念に実体を与えてしまったら、こんなことになってしまうんですね。
本物のマンモスというよりも、漫画的なぺらぺらのペープサート的なやつが、テケテケテケ…と背景を横切ったイメージが私の脳裏には浮かんでいます。
Posted by 東 洋子 at 2020年05月20日 20:37
37.「酒焼けの老女」は少しおどろおどろしい言葉にもかかわらず、最後までよむと暖かい余韻につつまれる、不思議な魅力を感じました。上質な空気感の表現が素晴らしいと思いました。
Posted by 小松佳奈 at 2020年05月21日 01:04
37 酒焼けの老女の笑顔にみな笑う今夜しずかな春の角打ち

酒焼けの老女は店の常連でしょうか。その老女の言葉や笑顔にそこに集っている、これまた常連らしき人々が笑っている、ひとつのコミュニティのような情景が目に浮かんで惹かれました。「酒焼け」「角打ち」の言葉が効いていると思います。ただ、下の句の「静かな」が情景にそぐわない印象を持ちました。今、私には浮かびませんが、この情景にもっと相応しい言葉があるような気がします。
Posted by のばらなほ at 2020年05月21日 11:31
27 きまじめな定家に麦の旨酒を身は御笠より八百の歳月
百人一首を編纂した藤原定家に美味しいビールをという発想が面白いと思いました。ただ御笠ではなく、三笠かと…。それから「天の原振りさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」からの三笠ならば、作者は定家ではないので、あえて定家にされた理由をお伺いしたいです。
Posted by のばらなほ at 2020年05月21日 12:05
 38 マフラーを渡しそびれてそのまんま酒田の駅にはるのゆき輝る

ふるさとの駅のホームで見送る場面でしょうか。手編みしたマフラーを、場合によっては自分の首に巻いているマフラーを渡すつもりだったのにタイミングを失してしまった。そしてそれが永遠の別れとなってしまった。春の雪がまだ残っていた。悔いの残る思い出がよく描写されていると思います。しかしわざわざ「輝る」の字を選ばれている。私の解釈違いでしょうか?
Posted by 夏目たかし at 2020年05月21日 20:16
37 酒焼けの老女の笑顔にみな笑う今夜しずかな春の角打ち

酒場の楽しい酒の雰囲気がよく伝わってきますね。
「老女」の語が、現在あまり日常では使われなくなっているので、ここ数日気になっていましたが、「老女」は正倉院文書(721年)にもあるいわば伝統のある言葉、一方「酒焼」は大正時代からの比較的新しい語で、このとりあわせも意外性があって、良いかなと今は思えます。
Posted by 日高雅彦 at 2020年05月21日 21:30
39
「やむを得ずひとり飲む酒」のかなしさが、「私」のものとしてではなく、「他者」のものとして描かれています。昔から今に至るまで、いつの時代にも、きっとそのようなかなしさが広く存在してきたのだろうという感慨が呼び起こされました。
Posted by 東山研司 at 2020年05月23日 21:48
37 酒焼けの老女の笑顔にみな笑う今夜しずかな春の角打ち

一瞬、笑った後、「あんまり騒がずにね」という暗黙の了解の元に静まる立ち飲み店。下町の豪快な女主人と数人の常連さんの、コロナ自粛直前の風景とすれば、上下に矛盾を感じませんでした。「角打ち」という素敵な言い回しがあるのですね。
わたしのごとき下戸には描けない鮮やかな一首です。
Posted by 若槻真美子 at 2020年05月24日 16:32
39 おういおうい、夜の山より呼ばうこえ酒吞童子はかなしきおとこ

能楽の中で考えてみました。
謡曲「大江山」での酒呑童子は討伐に来たとは知らぬ源頼光らをもてなすが、酔い潰れた隙に首を刎ねられる鬼。「かなしいおとこ」とは、王朝繁栄の裏側で「暗黒部に生き耐えた人々の意志や姿」(『鬼の研究』馬場あき子)に通ずるものがあるでしょう。
上の句は、コロナに断たれた人の交流をさびしむ今の心情をコンパクトに酌む上手さがある。が、この人懐こくて屈託の無い掛け声は、面「顰」(しかみ)をかける酒呑童子の背負ったものと少しだけズレる気がしました。むしろ、酌めども尽きぬ酒壺をもって水底より現れる赤ら顔の「猩々」の方がしっくりきて。
Posted by 若槻真美子 at 2020年05月24日 16:44
40 ほんとうにかなしいときにマンモスはよぎったろうか酒井法子を

題詠「酒」として他に追随を許さないダントツの発想力ですね。
強調の「マンモス」(?)は、アイドルだった彼女の「のりピー語」の一つ、語尾のおふざけには本音を知られたくない照れ隠しもあるでしょう。
「ごめんマンモス」も、「マンモスかなピー」も、シリアスな謝罪や悲しみには、当然ながら一切よぎらなかったでしょう。
20年以上は前の流行語、ギリギリ三十歳前後までなら知っているかな。
Posted by 若槻真美子 at 2020年05月24日 16:49
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