2020年04月18日

1〜3番の歌

1〜3番の歌にコメントをお願いします。

 1  牛乳は明るいほうを向いて飲むつめたいがらすの花曇る朝

 2  あさ、あさ、明るいあさ、とう教科書の朗唱もがも日本経済

 3  コロコロを明るいうちに済ませよう雨の冬至の早き夕暮れ


posted by かりんネット歌会 at 14:27| Comment(20) | 詠草
この記事へのコメント
2  あさ、あさ、明るいあさ、とう教科書の朗唱もがも日本経済

好きな歌です。「あさ」のリフレイン。「もがも」の音のやわらかさ。疲弊していく日本経済の再生への応援歌と読んだ。ただ、虚しさ、暗さをも感じるのは「もがも」のせいかな。
Posted by 中村暢夫 at 2020年04月18日 15:31
1番の歌
とても美しい歌です。がらす、と平仮名にした所など全てに神経が行き届いていると思いました。牛乳を明るい方を向いて飲む、朝に期待を持つ若々しい歌だと思いました。
Posted by 幸原千明 at 2020年04月18日 16:58
1番の歌
今がどんな現状であろうとも、きっぱりと明るい方を向いて牛乳を飲む!
生き生きした気合が感ぜられて、共感できました。
Posted by 島本千代子 at 2020年04月19日 09:02
1 牛乳は明るいほうを向いて飲むつめたいがらすの花曇る朝

一読して、花曇りとは言うが、動詞にはならないのでは、と思った。
「つめたいがらす」の平仮名表記が、視覚的にあまり冷たく感じさせない(音だけでは「冷たい」のだが、このギャップの意図はなんだろう)。何を表しているのか、象徴的で想像の余地がある。
外は明るいのだが(ただ、明るいのは外とは限らない。むしろ室内かもしれないが…)、室内にいて「つめたいがらす」が遮っている。今の時期に読むと、外出自粛をせざるを得ない生活の光景なのかと思う。また、牛乳も花曇りもホワイトで、歌の色調を統一していて巧み。
Posted by 中村暢夫 at 2020年04月19日 10:27
上の句はとてもおもしろいと思いました。その上で下の句がその面白味を受け切れていないように感じられるのが残念に感じました。
Posted by 細井誠治 at 2020年04月20日 07:35
1番の歌

お酒は暗い方を向いて少し前屈み気味に飲みがちですが、牛乳は明るい方を向いて腰に手を当てたりして胸を反らして飲みます。花曇りの日あったなと思いながら読みました。がらすが素敵だと思います。
Posted by 光野律子 at 2020年04月21日 11:41
1番 「明るいほうを向いて」に、ある決意、願望があるように感じられます。暗い気持ちになりがちな今を乗り越えようとする一首と読みました。下の句は、ガラスの結露に花曇りの空を重ねたのだろうと思いましたが、ちょっと作った感じがあるのが惜しまれます。

2番 小学1年生の教科書なので、原文どおり「あかるいあさ」と全部ひらがなにしてもよかったかな、と思いました。「経済」に限定してしまわない方がよかったかもしれません。

3番 「コロコロ」を使った掃除、ということでしょうが、やや言葉足らず。「雨の冬至の早き夕暮れ」の抒情と上の句が、少しちぐはぐな感じです。
Posted by 松村由利子 at 2020年04月21日 16:37
(1)
ダントツに好きな歌でした。「牛乳は明るい方を向いて飲む」と断言されると、そ、そうか、と、理由もわからず納得してしまう。これは牛乳という特殊な飲み物でなくてはいけませんね。乳という「育むもの」を、しっかり意思的に受け止める身体の強さを感じる。育っていく力、若々しさが明るい方向を向いている。腰に手をあてて飲んでいる感じです。
下句「つめたいがらすの花曇る朝」で、さんさんと明るい元気いっぱいな朝ではなく、しっとりした陰影が加わっています。「つめたいがらす」は、手に持っている牛乳瓶のガラスと、明るいほうを見ている窓のガラスが二重写しになっている感じ。「花曇る」はちょっと強引な気がするけど、そのガラスのむこうに桜かなにか、木の花が咲き誇っているのを曇りがちなガラスの内側から見ている、という光景が浮かびました。
Posted by モロクラ タマラ at 2020年04月25日 09:32
2番の歌 あさ、あさ、明るいあさ、とう教科書の朗唱もがも日本経済 について。

上句を朗誦(教科書なので朗誦の方が良い?)している、させているのは誰でしょう? 現状・現実を見ることから目を逸らさせたい為政者に対する抗議の歌のように思えました。この国の危うさを感じさせる歌でした。
Posted by 刀根卓代 at 2020年04月27日 17:13
1番の歌
 明るさは心の方角でしょうか。牛乳とガラスの冷えは何かの目覚めを促すように響き合って、結句の情景は牛乳のぬめった質感と呼応している。「飲む」という動作は今の不透明さへの抵抗に感じます。結句には秘めた意志が込められているようです。

2番の歌
 結句は経済にこだわらず今の苦しさを描いたほうが朗読の明るい響きと対をなして、より印象深くなる気がしました。教科書通りにはいかない現実、皮肉な視点も込められているのでしょうか。

3番の歌
 気取りのない面白い歌ですね。下句は風景や季節よりもその時の心境や場面の描写のほうが歌全体のまとまりが出て、コロコロの素材の意味も引き立つと思いました。
Posted by 中山洋祐 at 2020年04月27日 20:53
1番の歌は、今回の30首の中で、選ぶ3首のうちの1つです。

「つめたいがらすの花曇る朝」は、「はなぐもる」という動詞として捉えるか、「がらすの花」という名詞として捉えるか、どちらも可能かと思います。
ただ、「がらすの花」という名詞として解釈すると、上句の雰囲気と齟齬が出るので、「はなぐもる」という動詞として解釈したいのが、僕の読みかたです。

文法をバグらせるのも、詩歌の手法の一つとして考えていいのではないかと、僕は思います。
Posted by 大井 at 2020年04月27日 21:12
3番の歌
コロナの時期に「コロコロ」と聞くと、なぜか「コロコロ」の中にコロナが浮かんできます。明るいうちにこの言葉をしまっておきたい気持ち、下句の景が言葉としてつまっていることもどこか焦燥感に繋がります。
Posted by 上條素山 at 2020年04月28日 06:38
3  コロコロを明るいうちに済ませよう雨の冬至の早き夕暮れ

素直な実感のある歌だと思います。薄暗くなるとコロコロを動かしても動かす境目が分かりづらくなります。特に目が悪い方や年配の方はその思いが強いでしょう。
 冬至は昼が最も短い日だからここに据えられた意味合いは分かるのですが、冬至の日だけに限定するのは少し理屈が入ってしまうのでもったいない気がします。冷たい雨の降る夕暮れのイメージで収めた方がいいように思います。
 作品から離れますが、上條さんのご意見のようにコロコロは現時点で読むと音韻上どうしてもコロナのイメージが張り付いてしまいますね。去年の冬至にはコロナの事を知らなかったわれわれ、コロナの憂い無しにコロコロで掃除する日常があったことが遠い昔のようです。
Posted by 鹿取未放 at 2020年04月28日 16:29
1番
「明るい」と「花曇る」は矛盾ではなく微妙に響き合うのが面白いと思いました。
2番
「もがも」が猛烈に目立って、戯画的な感じを
狙った歌と思いました。
3番
「コロコロ」はほんとに今読むも不安な響きです。面白い歌だとおもいましたが、下句の「雨」「冬至」を「早き夕暮れ」と一緒にしてしまうと勿体ない。「冬至」はないほうが、上句のイメージがより自由になるのでは。
Posted by 米川千嘉子 at 2020年04月28日 22:52
1、牛乳って、不思議な飲み物で、いろいろな思い出、その時その時の暮らしの記憶の断片みたいなものと、分かち難く結びついています。毎朝牛乳配達のおじさんが届けてくれるのを楽しみに待っていたこと。学校給食の牛乳が大嫌いで泣きながら飲んだこと。駆け出し社会人時代、大酒をくらう前に牛乳を飲んでおくと胃が守られて悪酔いしないという誰かの助言を真に受けて、飲み会で痛飲させられそうな時はコンビニに駆け込んでパックの牛乳をのど元へ流し込んだこと。しかし、どっちを向いて飲むべきかなどということは、考えたこともありませんでした。なるほど牛乳とは、飲む人を選ぶ飲み物かもしれない。明るい方を向くべし。その、泣きたくなるような白さに報いるため。とてもポエジーを感じ、ひかれた歌でした。
Posted by ヨコタヒロユキ at 2020年04月28日 23:00
1「明るいほうを」「つめたいがらす」「花曇る」の言葉の斡旋が良い。「つめたいがらす」は斎藤史の「うすいがらす」から着想されたものか?
2「もがも」のニュアンス。結句少し舌足らずか。
3「コロコロ」は面白い。「早き」は因果をつけようとしてそれこそ早まった感じ。
Posted by 坂井修一 at 2020年04月29日 07:12
1のお作品、花曇るの使い方に少しひっかかりを覚えましたが、とてもいいと思いました。
「牛乳」そのものに健康的なイメージがあって、「明るいほうを向いて飲む」はそのイメージに引っ張られて出てきたと思えるほど、自然な感じ。花曇り、というとどこかにピンクの気配の漂う感じがあり、白と重なってやわらかい色彩感がいいと思いました。つめたいがらす、にはやはり斉藤史を思いました。
Posted by 中津昌子 at 2020年04月29日 16:05
1番の歌
色や感触のバランスに惹かれました。
牛乳の白は「乳白色」という表現もあるように、真っ白ではなくわずかに翳りや色づいた感じがあります。そのわずかな色味が、「花曇る」(花曇り)の天気のはっきりしない曖昧な空模様や微妙な気温と響き合っていて、そこにまた「つめたいがらす」の硬質さ、ひらがな書きが醸す親しみといった、細かな感覚や色合いが幾重にも重なっていく様がよかったです。ひとつひとつは取り立てていうほどでもない希望や不安、逡巡、心地よさがないまぜになっている感触。
北陸地方に住んでいた時の花曇りの天気、かすんだ青空や単純にちょうどいいと言い切れない微妙な気温の、いわく言い難い感じを懐かしく思い出しました。
Posted by 遠音 at 2020年04月29日 22:04
2番の歌
やわらかな古語の調べが、結句にきてガツンと「日本経済」と落とし込まれたギャップに惹かれました。
「日本経済」という収め方は新聞の見出しのようなそっけなさ、そつのなさもありますが、教科書の言葉からつなげる展開としては、その普遍性に見合った大きさの単語だと思いました。
Posted by 遠音 at 2020年04月29日 22:14
1  牛乳は明るいほうを向いて飲むつめたいがらすの花曇る朝

「牛乳」の白さと「花曇り」、そして「朝」という時間帯のイメージがよく合っていると思います。一読して不思議な明るさと清潔さが感じられる一首だと思いました。
Posted by 齋藤芳生 at 2020年04月29日 23:49
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