2019年08月07日

13 さみしさを洗わぬままに亡き母の茶碗をわれの水底に置く

13番の歌のコメントをお願いします。
posted by かりんネット歌会 at 23:15| Comment(9) | 詠草
この記事へのコメント
亡き母への深い愛、慕情、「水底」は寂しさに未だ枯渇しないまなうらの涙湖の喩であらうか。
「われの」が安易で弱いと思ふ。
Posted by 吉岡健児 at 2019年08月10日 02:01
例えば「茶渋」など落とそうと思えばもっと綺麗にできる。
しかしそんな具体的な台所仕事ではなく、生前の母の手触り故にその不在を感じてしまう事柄にはあえて触れず、しまっておこうと自制する心象だろう。
Posted by 若槻真美子 at 2019年08月10日 08:38
母を亡くした悲しみが伝わってくる。美しいが、結句は「水底」でなく、実景でよい気がした。
Posted by 中村暢夫 at 2019年08月10日 16:21
私も若槻さんのコメントと同じように感じました。亡き母のことを考えると悲しみが溢れてくる。しかし母の思い出を無理に忘れようとはせず心の奥のほうに潜ませて元気を出そうという歌と思いました。気持が伝わってきます。具体的な「茶碗」をモチーフに「さみしさを洗わぬままに」とした表現が巧みと思いました。
Posted by 森田鞠子 at 2019年08月11日 10:51
「さみしさを洗わぬ」のフレーズが新鮮だと思いました。 お母さまを亡くされた哀しみの涙でいっぱいの気持ちを「水底」と表現されたのだと読みました。
上句から流れるように結句に着地するつくりが見事だと思いました。
Posted by 橘 まゆ at 2019年08月12日 20:43
心象風景としての水底と、実物の茶碗。その二つが読み手の中で一つのイメージを結び、静かな悲しみに浸されます。
Posted by 東 洋子 at 2019年08月14日 16:47
よい歌だと思います。「亡き母の茶碗をわれの水底に置く」というフレーズが魅力的です。「さみしさを洗わぬままに」も面白い表現だと思いますが、「さみしさ」と直截的に言わない方がよかったと思いますが、どうでしょう?
Posted by 愛川弘文 at 2019年08月21日 12:45
冒頭の言い回し、言葉の流れ、とても良いと思いました。皆さんおっしゃるように、「われの水底」が問題なのでしょうが、ここをもっと大人しくするか、もっと激しくするかは、意見の分かれるところでしょう。もっと激しくする歌い方も試みていいように思います。
Posted by 坂井修一 at 2019年08月24日 03:40
亡くなられた母上の部屋の片付けもそろそろという時期だが、いろいろ思い出されてなかなか手がつけられない。さみしさはさみしさとして心の一番深い所に置いておこう。洗う対象を心と茶碗にかけたところに工夫がみられ、気持ちが伝わってきました。
Posted by 夏目たかし at 2019年08月26日 21:58
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