2018年10月06日

9.産道の出口をおもう ひたすらに長きトンネル歩いてゆけば

9番の歌へのコメントをお願い致します。


posted by かりんネット歌会 at 00:00| Comment(7) | 詠草
この記事へのコメント
「長きトンネル」は作者の心の中に在るトンネルでしょう。人間は母体から産声をあげるまでの無欲無心の達観状態から、強欲で罪深く退化してゆくいきもののようです。結句「ゆけば」が浅く、引っかかりました。
Posted by 吉岡健児 at 2018年10月06日 06:37
私は「長きトンネル」は実景ではないかと思いました。長いトンネルを歩いて外へ出たとき、自分の記憶にはない、産道を通ってこの世に生まれたときの光を思ったのではないでしょうか。
Posted by 徳力聖也 at 2018年10月07日 11:41
長いトンネルが実景かどうかは、気になるところですが、「産道の出口=トンネル出口」と表現した点はかなり斬新で、男性には思い付かないものでしょう。もしかして女性登山者がトンネル内を歩行していた時に浮かんだ作品かもしれませんね。/あと気になったのは作者のその時の感情です。出口をおもった時に、早くトンネルから脱出したいのかどうか?そこが少しぼんやりしているような気がしました。
Posted by 龍 の 涙 at 2018年10月07日 14:42
出産のとき、赤ちゃんは、
お母さんの産道を、4回転しながら
産まれてきます。
ですので「長きトンネル歩いてゆけば」
という表現が、なぜ、
「産道の出口をおもう」に繋がるのかが
私には よくわかりません。

余談ですが、
最近「産道くぐり」というママさんの為の
ワークショップがあり、皆で肩を組んで、
産道を作り、出口に ママ役の人が
待っていて 抱きしめてくれるという、
感動的なものだそうです。

「産道の出口をおもう」の表現を
据え置くなら、「ひたすらに」、
「歩いてゆけば」を、
リアリティの感じられる表現に
変えたほうが よいかもしれません。

「ひたすらに長きトンネル歩いてゆけば」
がそのままなら、「産道の出口」は、
他の表現に 替えたほうが
よいかもしれません。












Posted by 橘 まゆ at 2018年10月07日 21:20
しぶんが母の胎内にいたときの微かな記憶?を思い出しているという感覚でしょうか
だれもが生の中でときおり反芻する感触を一首に仕立てられたのかと思って読みました
産道の出口、という初句は強すぎないでしょうか?再考のの余地があるように思いました
Posted by 細井誠治 at 2018年10月08日 08:03
「産道の出口」を目指す胎児は、生まれ出ようとする明確な意思を持っています。現状が心地よいから、この先の道のりは辛そうだから、そんな躊躇や妥協はなく、ただひたすら前に進みます。
お産の現場の生々しさではなく、そうした胎児のありようを想起して、現在の辛く長いトンネルに挫けそうな己に重ね合わせ、「とにかく行くしかないのだ」と噛みしめている歌だと解しました。
Posted by 遠音 at 2018年10月09日 22:38
実際にトンネルを歩いているときに、ふと自分が生まれたときのことを思い出した…ような感覚にとらわれたのでしょうか。現実にはあり得ない感覚を詠んだ歌は個人的には大好きです。この一首の先ずその感覚のとらえ方に感心しました。
たぶん胎児は「産道の出口」という単語は知らないと思うので、もっと原始的な感覚を表す言葉(くらい・あかるい・不安・生きたい…など)で表現したほうが良いのではないでしょうか。
Posted by 東 洋子 at 2018年10月12日 21:15
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