2018年01月25日

26  夕焼けをとじ込めている抽出に亀がなく日はかくれていたい 

26番の歌についてコメントお願いします。
posted by かりんネット歌会 at 20:13| Comment(5) | 詠草
この記事へのコメント
最初は「夕焼けをとじ込めている抽出(の中)に、亀が無く、日は隠れていたい」と読んでしまい、完全に意味不明でした。が、これは「亀が鳴く日は、隠れていたい」ですね。上の句が美しく不思議なイメージをよびおこします。亀鳴くは春の季語ですが、ここはそれよりも、日常がちょっとずれてしまった感覚とでもとらえてみましょうか。何をやってもうまくいかない日かもしれません。タンスの中に逃げ込めば、そこには別世界が広がっているのです。「抽出」は、「抽出し」か「抽斗」「引き出し」の方がわかりやすいと思います。
Posted by 大石友子 at 2018年01月26日 00:18
私も前評の方と同じく「閉じ込めている」に引きづられて、最初「亀が無く 日は・・・」と読み、「??」となりました。亀は、冬眠から覚めた時、発情の時、キュキュと鳴くとか。〈明日の晴れを表す夕焼けも引きだしに入れてしまい、そこに自分も隠れていたい気分。亀すらもう春だよまたは恋をしようよという前向きムード、そんな日は特に、、〉というように鑑賞いたしました。上句の美しくアンニュイな表現に、なぜか亀が出てきて面白く鑑賞させて頂きました。
Posted by 島本千代子 at 2018年01月26日 16:44
読後に残る謎めいた雰囲気が面白いですね。
「夕焼けをとじ込めている抽斗に」が、「亀」にかかるのか、「かくれていたい」にかかるのかは揺れますが、「かくれていたい」にかかるとして読みました。
言葉のかかりかたの揺れ、イメージの不思議さゆえの揺れ、さまざまな揺れを内包していて、その揺れこそが作者が伝えようとしたものなのかな、と思いました。

Posted by 遠藤由季 at 2018年01月29日 08:12
「夕焼けをとじ込めている抽斗」という言葉の意味に或るポエジーを喚起させられそうにはなるものの、修辞に酔っている感が否めないと思いました。読者に読みの広がりがある歌は、一方で、理解不能な自己陶酔をも孕んでいる気がします。
Posted by 吉岡健児 at 2018年01月29日 11:02
「抽出」は引き出すことで中に何が入っているかがわかるのと同じように、思い出は思い出すことで記憶が鮮明になる。「夕焼けを閉じ込めている抽出」は、作者の大切な思い出の喩であり、唯一、隠れることのできる場所かもしれない。素敵な思い出なのだろう。亀も一役買っているのだろうか。夕焼けと亀、ノスタルジックな手触りに満ちた歌だ。
Posted by 辻田裕美 at 2018年01月29日 22:12
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