2018年01月25日

29  銅(あかがね)の柿の葉落ちて寒々と友のとほさの見えて来(きた)る日

29番の歌についてコメントお願いします。
posted by かりんネット歌会 at 20:10| Comment(4) | 詠草
この記事へのコメント
この「遠さ」は、物理的距離ではなく、心の距離だと思いました。叙景から入り、心の内を述べていく型の歌です。「あかがね」の柿の葉は、ついていた時には紅葉としてみごとだったけれども、すべて落ちてしまった淋しさと、心の淋しさが、三句目で重なるのですね。下の句は、二人の間に何かがあったのでしょう。その片鱗でもよいので、何があったかを想像させる具体的なものがでてくればもっとよかったのでは。それから、結句の体言止めの「日」。これで止めてあると、そうでなかった「日」までれんそうさせるので、作中主体に流れたある期間を想像させます。また、その一日の長さも感じさせます。でも、友との距離を感じたその心を読むのであれは、日、は要らないのではないかと思いました。
 表記については、るびを振らなくても「来たる」すればよかったのではないかと思いますが、なぜなのでしょうか?
Posted by 久山倫代 at 2018年01月28日 15:51
「友のとほさの見えて」という表現にドキッとしました。
誰しも感じることのある、そういう瞬間、時を端的に表現なさっていると思います。たとえ、近しい気持ち、価値感、感覚の似ている点などなどで、大切な友と思っていても、それぞれの境遇などいろいろで変化しますから。こちらの受け取り方も変わりますし。
赤く厚ぼったい柿の落ち葉を踏みながら、筆者の心も寒々しく冷え切る心持ちなのですね。
Posted by 島本千代子 at 2018年01月28日 15:58
ここでいう「友」とは、親友のような近さではなく、例えばママ友、同僚といった、目的や環境でゆるく括られた関係性ではないでしょうか。
「友」との隔たりを知ってショックで傷つくのではなく、鼻白む感じがうまくでています。
下の句は言葉を詰め込まず疑念が確信へと変わる時間経過を表し、あかがねの硬質感とあいまって、冷たく引いていく心理描写をさらりと整った韻律に乗せています。
Posted by 若槻真美子 at 2018年01月30日 20:03
個人的な感覚なのですが、柿の葉が全て落ちた後、枝全体に柿がたわわに実っている光景が現れるのを、毎年わくわくしながら眺めています。
なので、「柿の葉落ちて」から「寒々と」という展開につながることに、最初戸惑ってしまいました。
残った枝ではなく地面の落葉の方へ意識を向けた歌かと思いますが、個人的に映像が描きづらかった御歌でした。
落葉してすぐに裸の枝となってしまう種類の木の光景でしたら、「友のとほさの見えて来(きた)る」がその光景と感覚的にもよくなじむと感じました。
Posted by 遠音 at 2018年01月31日 23:41
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]