2018年01月20日

17  皮膚呼吸できぬ火傷のような瞳で子どもをあやすロヒンギャの母

17番の歌についてコメントお願いします。
posted by かりんネット歌会 at 22:01| Comment(4) | 詠草
この記事へのコメント
「皮膚呼吸できぬ火傷のような」この比喩は、人間の原罪に触れる比喩だ。民族的な苦痛にあえぐ母と子を写し出す比喩としてリアリティーに富んでいる。作者の人間的な憤りと真実を見ようとする目が感じられる。
Posted by 辻田裕美 at 2018年01月21日 21:16
作者は、不当な迫害を受けているロヒンギャを表現者として詠まずにいられなかったのだと思います。マスメディアの報道からいかに自分らしく詠むかというところ、難しいテーマですね。「皮膚呼吸できぬ火傷のような」はとても工夫された比喩だと思いました。ただ、「瞳」にかかるとややイメージしにくく、もったいなかったかなと思いました。
Posted by 江國梓 at 2018年01月23日 23:28
皮膚呼吸できぬ火傷のようなの比喩について私は火傷まで言わず皮膚呼吸できぬ瞳のほうがよりピュアな感情が現れるような気がしました 
Posted by 梅原秀敏 at 2018年01月24日 04:58
取り入れることも排出することもできず、つっぱったケロイド状態を感じます。
迫害され漂流する状況下にロヒンギャの母が、今できることは泣く児をあやすこと。
「瞳」とは、感情を宿さず呆然と貼りついたように在る難民の母の、目前の命を見つめるしかない心の喩でしょう。「瞳」は韻律から「め」と読むのでしょうか。「目」を当てると、焼き魚の目のような具象が勝ってしまうし。
瀬戸際の切迫感を独創的に切り取っていると思いました。
Posted by 若槻真美子 at 2018年01月25日 15:29
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