2018年01月20日

19  空蟬にひかりを溜めてまた零すやうな願ひを掬ぶ幾たびも  

19番の歌についてコメントお願いします。
posted by かりんネット歌会 at 21:58| Comment(4) | 詠草
この記事へのコメント
表現の核は「虚無感」や「無常感」からの脱却、立ち直りなど、作者の踠く姿なのでしょうか。いずれにしても四句までに比喩された「願ひ」そのものが曖昧なために、わかるようでわからない歌だと思います。
「空蝉」という言葉の持つイメージが先行していることも読みを限定しているのかも知れません。
Posted by 吉岡健児 at 2018年01月22日 09:18
「ひかり」は希望でしょうか。そしてまた絶望のときがくる・・・。生きるとはその繰り返しだということかと思いましたが、「願ひを掬ふ」がわかりにくかったです。上の句の雰囲気は好きなのですが・・・。
Posted by 江國梓 at 2018年01月23日 23:54
「ひかりを溜めてまた零すやうな願ひ」がわからない。願ったり願わなかったりすることか。ひたすら願っても、かなわないと思ってあきらめたり。でも人の世には、願うこともあきらめることも常であり、何度でもそうすることが許されているのではないか。だから「願いを掬ふ」と作者は歌ったのではないか。
Posted by 辻田裕美 at 2018年01月24日 17:57
前評者方の解釈を参考にして、もう空蝉のようになった自分のこころに希望のひかりを当ててはまた暗くなることを、これまで何度も繰り返してきたことよという作者の感慨を詠まれた歌と思いました。結句を「掬ふ」ではなく、「掬ぶ」とされたところに工夫というか想いを感じました。
Posted by 夏目たかし at 2018年02月03日 14:40
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